2015年01月04日

海映(カイエイ)誕生のうらばなし

「海映(カイエイ)誕生のうらばなし」です。

現在、海南市内に「映画館」は1件もありません。

昭和30年~40年ごろには、大映、海映、新富座、オリオン座、朝日映画劇場。。。

いくつもあったそうですが、今の若い世代は海南市に映画館があったことすら知りません。

12月17日に海青連(かいせいれん)が中心となって立ち上げた

「海南映画制作実行委員会」

昔あった映画館の愛称にちなんで「海映(カイエイ)」と呼ぶことにしました。


今回、誕生した「海映(カイエイ)」は実行委員会の名称ですが、

「地域発信型映画制作」では、海南市を舞台とした映画をつくります。


地元で愛された「海映」さながらワクワクする映画を提供したいと考えておりますので、

応援、よろしくお願いします!


昭和28年頃の海映(カイエイ)


[説明文]

太平洋戦争終結後、NHKラジオ放送に「君の名は」があった。
全国の人気がこの放送番組に集中して、午前八時三〇分前後の
その放送時間帯は町の銭湯は空となった。
つづいて「君の名は」は映画化され人気はいやが上にも
盛り上がり、映画黄金時代を築きあげた。
昭和二十八年頃に繁盛を極めた当時の海映の姿である。

※参考文献「ふるさとの思い出写真集 海南 倉橋利一編」